ここでは冒険性の話は除外して、写真や映像について。
登山やクライミングにおけるドローン映像や写真は、その山や壁を実際に登ったとしても、登山者やクライマーは絶対に獲得できない視点だ。ドローンの優れた映像を見るたびに、私が体験する視点は劣っているのかと疑問に思う。
知覚が経験を飛び越えて、絶対に体験不可能な視点が当然のように差し出されることへの違和感が付きまとう。超越的な目線が、身体を通して得られる体験から大きく乖離している感じがどうしてもするのだ。身体の不自由さや限界を味わうことなく…。
地図の登場によって、身体でしか把握できなかった世界を俯瞰できるようになった時、身体が切り離されたような疎外感は、当時の人もあったんじゃないだろうか。
今は、見た目の情報量やインパクト、要するに映えを基準に評価されるし、写真や映像を見る側からしたら、身体での体験価値はわからない。
身体感覚の断絶による喪失感なのか、権力的視点に無自覚でいたくない抵抗なのか。綺麗なんだけどね。