山スキーには「機動力がある」というイメージがある。私もそう思っていた。しかし、実際にやってみると、その機動力が活きる場面はかなり限定的だ。
厳冬期の新雪ラッセルのような条件を除けば、移動手段としては徒歩の方が優れている場面が多い。
少なくとも、滑走そのものを目的としないのであれば、スキーを選ぶ意味は薄くなる。
移動手段としてのスキーの不自由さ
山の移動で最も効率が良いのは、基本的に稜線だ。しかしスキーでの稜線移動は、現実的にはかなり制約が多く、不向きだ。風に叩かれた雪、細いリッジ、雪庇、細かいアップダウン。稜線はこういった地形ばかりで、スキーと相性が悪く、行動は不自由になる。ロングルートこそ歩きの方が向いている。
沢を落とす
スキーを楽しもうと思うと、ルート取りは、沢を下降し、標高を落としてから登り返す形になりやすい。しかしこれは、移動という観点で見ると合理的とは言いがたい。
最も移動効率のいい稜線から外れて、わざわざ標高を落として、登り返すという行為がそもそも移動手段して非合理な構造なのだ。さらに、シールの着脱や、ブーツを切り替えたりとトランジションにも時間がかかる。何も考えず、淡々と稜線を歩いたほうが速い。

例外として、尾根と沢が並走して、大きく標高をあまり落とさずにラインを取れる場合はスキーのルートも移動効率として機能する。
例えば、
・万太郎山 赤谷川源流
・奥利根 三ツ石沢源流
・越後駒ヶ岳 オツルミズ沢源流
・間名古の頭 オモ谷源流
などだ。
ただ、こうした地形は決して多くない。有名な赤谷川源流のようなルートでも、アイゼンで稜線を進んだ方が速いことすらある。さらに言えば、標高を落とさないということは、なだらかな地形なので、急な滑降の面白味とトレードオフになっている。

「スキーだからできる」は意外と少ない
これらの沢筋はスキーじゃなくても歩いても下降できる。残雪期なら急斜面の沢でも、アイゼン履けば降りれる。スティープラインもアイゼンで下降可能である。
つまり、沢筋で見られる景色や通過体験は、スキー固有のものではない。
そもそも、スキーで行ける場所は歩きでも行けるが逆は成り立たない。この非対称性を考えると、「スキーである必然性」はかなり限定される。
スキーだけの特別なもの
では、スキーだけの特別なものとはなにか。それは滑走体験そのものに他ならない。明確に、スキー固有の価値がある。あたりまえのことだが、このことに中々気づけないでいた。厳冬期のパウダーやスティープにおいては、スキーでしか成立しない体験がある。
制約になる
滑走そのものが目的でない場合、スキーは制約になる。担ぎ、取り回し、ルートの制限や標高。そういった要素が、行動の自由度を下げてしまう。スキーは自由の翼だと思っていたのに、最近は足枷のように感じることも多い。厳冬期パウダーという条件を除けば、利点を活かせる場面は多くない。
「必然性」を求めてしまう理由
こうして考えると、スキーという道具に対して必然性を見出せない場面が多い。そもそも、私はなぜここまで「スキーである意味」にこだわってしまうのか。
その背景は私自身にある。まずひとつは、差別化の欲求だ。
道具を活かせていると感じられるとき、自分の中で納得感が生まれる。一方で、「別に歩きでもできるなあ」「歩いたほうが速いな」と気づいた瞬間、その特別さは簡単に崩れてしまう。パックラフトでも、担いで使うからこそ意味があるのであって、担がないのであればカヤックやボートで代替できてしまう。すると、「あえてスキーで行く意味はあるのか」「パックラフトである意味はあるのか」と考えてしまう。
もうひとつは、私の中に子供の頃からある劣等感と結びついている。自分の選択には価値があると信じたい。だから、その選択に明確な理由や必然性を求めてしまう。スキーを使うのであれば、それでなければ成立しない山行であってほしい。パックラフトであれば、担ぐことに意味がある形で使いたい。そうでなければ、自分の選択そのものが曖昧になり、自信も揺らいでしまう。
さらに言えば、道具は単なる機能ではなく、自分の表現でもある。どの道具を使うかは、どのように山に向き合うかという姿勢そのものに直結している。だからこそ、「なぜそれを使うのか」を考えてしまう。その意味が見出せないとき、自分自身の在り方にまで及ぶ。
滑走体験こそがスキー固有の価値、行為そのものが面白みだと頭でわかった今も、「別にザラメやブナ林ならツボでも歩けるし」と思ってしまう。歩きより遅かったらスキーの意味がない!といった呪縛からはなかなかまだ逃れられない。
この必然性を問う感覚は息苦しい。何も考えずに、その場の気持ちよさや楽しさに身を委ねていられた方が、きっと楽だし、幸福感も強いのだと思う。その方が健全な気もする。しかし、創造性はそこから生まれると信じたい。だから結局、この面倒な問いと付き合い続けるしかないのだと思う。